物理化学的な宇宙がどうにも、思想的な宇宙にまで追いついてきているという現状がある。村山先生の宇宙はほんとうにひとつなのか、に代表される今の科学文明の域はどうにも多元宇宙まで来ていて、大金を使って真面目に研究されている。もはや科学で証明できるものは無いとまで研究し尽くしているような宇宙や天体ではあるが、その方向性は定まらず、仮説と検証でだいぶすごいところまで来ている。
ニュートリノや反物質など世界ではいろんなことが騒がれてますが、その研究の行き着く先はもはや宇宙戦艦ヤマトのワープの世界や宇宙がいくつもあるという多元宇宙や全てを包括する法則としての超ひも理論まできている。哲学や宗教または数学といった緻密な世界までも飲み込むほどの考え方をもってしてでも、宇宙はなかなか捉えることができない。仏教にある縁起という言葉のように、むしろそこを見るという行為自体に関係性が生まれて、両者に対して縁起が生まれるということでしか説明がつかないといった行き着く先のところまで科学が進出してきている。
東洋的なそういった優れた思想にまで追いつこうとしていること。不完全性定理というのがその証明であり、見ようとすると現れるということの不完全さが化学的に提唱されている。もちろんビックバンもあったとしてもなかったとしてもどちらでもよく、あったと思うから存在する訳であり、人間のサガでもある。不完全なものに興味を抱かせるということを作った神が一番すごいのかも知れないが、物理化学などそこを見ようとするから存在するということは一生イタチごっことなることが証明されつつある。
常に無限大になってしまうとお手上げな物理学に於いて、事更追求することの意味はそこから派生する反証可能な何かを見つけだし、生活を豊かにすることを見つけ出すという行為であるといえる。それが何か知りたいということには終わりはないだろうし、すべては七段階の域と陰陽でしか説明がつかない世界へと落ち込むだろう。煩悩というのはそういった行為を指すのです。


